2024/10/5
【野村万蔵|野村万蔵家九代目当主】
文化継承や創造に関わる方々をお招きして、お話を伺う特別企画「語らひ人」。
第9回は、狂言方 和泉流能楽師、野村万蔵家御当主の九世野村万蔵さん(以下、万蔵さん)との対談です。
万蔵さんと理事長の近衞は、学習院の先輩と後輩の間柄で、万蔵さんにはご賛同者としてNPO法人七五のご支援も頂いています。
今回の対談では、2024年12月に、東京・観世能楽堂の「第四回 万蔵の会」で上演が予定されている『釣狐』への思いや、万蔵さんご自身の夢。そして狂言の未来について、気心知れた2人だからこそのお話しを稽古舞台で語って頂きました。
目次
1.狂言「釣狐」の鳴き納め
2.次世代への継承
3.能楽界のこれから
4.Anthem Awards 受賞
狂言「釣狐」の鳴き納め
*釣狐(つりぎつね):猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の白蔵主という僧に化けて猟師のもとへ行くという狂言の演目。教養のある僧に化けて漁師を見事に騙した聡明な狐が、罠の餌に危険を知りながら引き付けられてしまう。この理性と本能のせめぎあいが見どころのひとつ。
近衞:どう猛な面(おもて)ですね(笑)。
野村万蔵:そうでしょ?襲い掛かってくるような。関東大震災と空襲で、焼けてしまったので、本面が残っているおうちにお願いをして祖父が写させてもらったんです。
*本面...各流儀の家元などに伝承されてきた、流儀の基準となる優れた面のこと
近衞:お祖父様が?!面打ちでもでもいらしたんですか?
野村万蔵:そう。狂言だけでは食べていけないからと、祖父の父親が「手に職をつけさせた方がいい」と言って、下村清時という彫刻家のところに行かせて、狂言役者と面打ちの二刀流になったそうです。
*下村清時(1866 - 1922):大正期の彫刻家。能面制作をへて中年より彫刻をはじめ、大正八年に院展に出品した「観音像」で脚光をあびる。大正期の院展彫刻を代表するひとり。下村観山の兄。
近衞:それにしても、ここまで精密に作られているとは思いませんでした。ところで、万蔵さんにとって『釣狐』を演じるのは次回で最後になると伺いましたが。
野村万蔵:そうなんです。
和泉流では「猿に始まり、狐に終る」といいますが、これは『靭猿(うつぼざる)』の小猿役で初舞台を踏んだ子供が、『釣狐』の狐役を演じて初めて一人前の狂言師として認められるという意味です。
私が『釣狐』を初めて演じたのは25歳の時です。それから10年刻みで35歳、45歳と演じました。心身ともに鍛えて55歳でまた『釣狐』をしようと思った矢先に、胃がんが見つかって、半分切りましたものですからね。これはとても体力的にも精神的にも『釣狐』はできないなと思って企画を変えました。そして、手術からそろそろ4年経つんですけど、少しずつ体調も戻ってきたので、そろそろここで『釣狐』をやっておかないと、もうやらずじまいになるかなと。体力が戻っていなくても、それは今までの経験値とか技術力とかいうものでカバーしたり。何よりも大事なのは「やろう!」という気力、想いだと思いましたので。
こういう体ですから、最後ということを決断して、退路を断った形にして挑もうと思ったわけです。
近衞:万蔵の会のチラシで「鳴き納め」と書かれていた意味が良くわかりました。
さて、今まさに『釣狐』の面を拝借していますが、本当に怖い表情ですね。
野村万蔵:この狐、老齢の狐のボスといいますか。それが最後の最後もう、本能に負けて、この形になって餌を食べに来る時の顔です。
近衞:なるほど。理性を失った顔ですね。
野村万蔵:この狐が、前半は今私が手にしている面の白蔵主(はくぞうず)というお坊さんにドロンパって化けている。猟師がとても慕って言うことを聞く伯父のお坊さんに化けて、猟師に「那須の殺生石」の恐ろしいお話などをする...。
*那須野の殺生石:栃木県那須町に現在も存在する伝説的な巨石。触れると命を奪うとされる悪しき霊が宿っていると信じられており、能の演目にもなっている。狂言「釣狐」では、狐が猟師を怖がらせるために話して聞かせる。
猟師を改心させて「狐を殺すことをやめてもらおう」ということで、白蔵主に化けて本当に恐る恐る、猟師の家を訪ねます。そして、その猟師はいぶかしがりながら、罠を捨てるんだけど...。まあ、断酒で酒瓶を捨てるのと同じようになる(笑)。
近衞:私にはできませんね(笑)。
野村万蔵:そうでしょう(笑)。実際に、猟師も捨てているような捨てていないような...。つまり、仕掛けがついたままの罠を、中途半端に捨てた。「捨て掛け」とセリフでは言ってますが。その罠を帰りがけに見つけた狐は、餌の匂いに引き寄せられて...。「帰ろう」という理性と「食べたい」という本能が、葛藤する。
これも人間でもありますよね。「やめとこう」、「いや、もう一杯!」のようなことです(笑)。天使と悪魔が自分の背後で囁く。よく漫画のシーンにありますけれども、まあ最後、狐は欲という本能に負けてしまう。
ただ、色々なパターンがあって、「黒川能」などで演じられる『こんかい』という狂言だと、狐は本当に捕まっちゃう。
*黒川能:山形県に伝わる伝統芸能。国の重要無形民俗文化財。
*こんかい:「釣狐」の別名。「こんかい」には「後悔」の意味が重ねられているという。
近衞:地域差があるんですね。確か黒川能は、鶴岡の春日神社で氏子さんたちが継承しているお能ですね。
野村万蔵:そうそう。黒川能では、ちょっと微笑ましい狐さんが出てきて、罠にかかって連れていかれてしまう。だから、『こんかい』は人間目線です。
近衞:なるほど。
野村万蔵:で、僕らの方は人間を脇役にして、獣という自然や神の使いを主役にして、狐の目線で、人間と獣の対決というか、人里と山との棲み分けというか、いろんなことを描いている。『釣狐』だと最後に狐がどうなるのかについては、ご覧になったこともない方もいると思うので、観てのお楽しみということにいたしましょう。