2022/8/23
【花山院 弘匡|春日大社 宮司】
七五会員様向けの特別企画として、文化の継承や創造に関わる方々と理事長・近衞忠大との対談「語らひ人」をスタートいたしました。「語らひ人」のトークから、会員の皆さまのお仕事やプライベートにおいて、何らかの気づきやヒントを見出して頂けましたら幸甚です。
記念すべき第1回目は、春日大社宮司・花山院弘匡様と近衞忠大の対談です。日本の伝統文化や教育についてお話し頂きました。是非ご一読ください。
目次
1.春日大社と藤原氏の関係
2.自身の「家」との関わり
3.日本文化に関心を寄せたきっかけ
4.若者の日本文化への理解
春日大社と藤原氏の関係
近衞:ここ春日大社は、私たち藤原一門の氏神・武甕槌命様を主祭神としてお祀りする神社で、称徳天皇(718-770)の勅命で、藤原鎌足(614-669)の曽孫・藤原永手(714-771)の時代に造営されたと伺っています。創建以来、国家・国民の安寧を祈る社として、現在でも年間2200以上の祭事が執り行われ、中でも「春日祭」は、1200年以上続いていて、宮中より陛下の御代理である勅使もお越しになる。昔も今も天皇家との繋がりがとても強い神社です。
……と、話がこれ以上深まる前に、そもそもなぜ花山院様も私も「藤原」姓じゃないのか説明しないと、一般の方々にはこのお題がわかりづらいかもしれませんね(笑)。
今から900年程前に藤原さんが増えすぎて識別できなくなった。そこで、京都の近衞大路(※1)に住んでいた藤原基実(1143-1166)家を「近衞はん」などと呼ぶようになったのが由来と聞いています。基実から始まり31代目が私の父、近衞忠煇(1939-)です。
※1 現在の出水通(東は烏丸通から西は七本松通に至る通り)の大宮通より東が平安時代の近衞通。
花山院さんのお名前に由来は?
花山院:近衞家は、関白・藤原忠通(1097-1164)の四男・基実から始まる訳ですが、忠通の大叔父が花山院家初代の左大臣・藤原家忠(1062-1136)です。家忠は次男であったため、父の関白・藤原師実(1042-1101)から義父の藤原定綱(1032-1093)へ譲られた邸宅を新たに継ぎました。そこは以前、花山上皇(968-1008)が仙洞御所としてお住まいになっていたので「花山院」と呼ばれ、そこから後に花山院家となります。場所は現在の京都御苑です。家忠から数えて、33代目が私になります。